そのラウンジは基地奥の西ブロックでも端近く、目立たない通路を曲がった先にあった。
彼が見つけた時には、申し訳程度に置かれたテーブルも椅子も薄くほこりをかぶっており、そうそう人など来ないだろうと踏んだその読みは当たって、何時間居座っても周囲には人の気配すらないのだった。
そういうわけで、彼はここ二、三日、安心してその場にこもっていた。
* * *
だが今日、日課のとおりラウンジに足を踏み入れた途端、彼の頭脳はフリーズしかけた。
二つある椅子の一つがふさがっていた。先客だった。
――あ。
とっさに身をひるがえして出て行こうとした。
が、その背に相手の声がおっかぶさった。
「なあ、腹減ると落ちて来ねえかい? それ」
「……ええっ?」
素っ頓狂な声をあげて反射的にそこらを見回したが、他に人影も見当たらない。
相手はどうやら自分に話し掛けているに違いなく、それを理解してしまうと、彼は仕方なくラウンジに戻った。
「あ、あの……オレ、いえその、何が、えーと」
反応につまっていると、相手はにっと笑って彼を指さし、その指をさっと左右に動かしてみせた。
「ほら、そいつだ。そいつ」
「…………?」
一瞬ぽかんとして相手の指を見、その指している先に目を移して、彼はようやくその意味に思い当たった。
彼を軸にしてちょうど胸の高さに水平に浮かんでいる、方位磁石の輪のことのようだった。
「……ああ、これが……ええと」
「だからよ、落ちて来るだろ。腹減ってる時」
「え、ええ」
その通りだった。固定する支えもなく、ちょっとした電磁石の要領で浮いているそれは、エネルギーが足りなくなると下に落ちてしまうのだ。
なんで、それを? 訊こうとした彼は、その当の相手も自分と同じような大きな輪を襷がけにしていることに気づいた。
「……その、もしかして、それもですか」
「ああ、そういうこった。ま、ここ来て座んな」
相手は笑いながら、自分のすぐ横の椅子を指した。
いよいよ逃げるわけにもいかず、彼はおっかなびっくり、そこに座った。
* * *
「ハハ。そんな顔しなさんな、取って喰いやしねえよ。俺はサターンてんだ」
相手はそう名乗ってくれたが、彼の気は余計に重くなった。
「……コ、コンパスマン、です」
彼もぼそぼそと名乗り、そのままうつむいた。その先の会話の流れはもう何となく見当がついていた。
「ここにゃもう慣れたかい? いや、一週間やそこらで慣れるもねえもんだが」
ほら、来た。
「……ええ、まあ」
「あんまり見かけねえと思ったら、こんな所に来てたんだな。よく来るのかい」
「……はい」
「いやな、みんなで話してたとこさ。今度来た連中はみんな大人しいが、中でもお前さんの姿は見ねえってな。嫌いかい、にぎやかなのは?」
「…………」
沈黙。
「……どうしたい。ん?」
相手……サターンがこちらに少し上体を傾けるのが視界の端にうつり、コンパスマンは伏せていた視線をちらりと上げた。
相手は、穏やかな目をしているように見えた。
「……ひとりが、いいんです」
その物ごしにつられてつい言ってしまってから後悔した。失礼なんじゃないか、気にかけてもらっているのに。
だが、彼が何か言うより早く、サターンが笑って答えた。
「ひとりがいい、か。ま、初めはそんなもんだろうよ。知らねえとこってのはやっぱり、気が引けるからな。……そう言や俺たちも、ここに来たばっかの時はそうだったなあ」
その言葉が耳に残った。
「……『ここに来た』?」
思わず顔を上げた彼に、サターンはにやりとしてみせた。
「そうさ、俺もワイリー先生のロボットじゃない、よそから来たんだ。他にもまだ九人いるがね」
「そうだったんですか……」
「ああ。最初は往生したもんさ、右も左もわからなくてな」
「…………」
思いがけない話だった。ある点を除いては。
「…………。でも、」
コンパスマンは声を出したが、そこで詰まった。その先に続けるにはまだ少し勇気が要った。
「それでもサターンさんは、ちゃんとしたロボットじゃないですか。でもオレは、」
言いたかった言葉という言葉がどっと脳に溢れてきた。彼はどもりどもり、何とかそれを口から出そうと試みた。
「オレ、こんな見た目だし、造りも安物だし、コンパスマンなんて名前もあれだし、……この輪っかも、一応コンパスだけど、いつも狂ってるし……」
彼は自分の輪に目を落とし、相手の輪をちらりと盗み見た。歳経ていると見え鈍い光沢を持ったそれは、彼の安っぽい銀色の輪に比べて随分と重々しかった。
「だから……捨てられたんです。前にいた家で、チェックするからって言われてスリープ状態になって」
そのときの光景が脳裏をぐるぐる回るような錯覚に襲われて、彼は頭を押さえた。
「気づいたら、スクラップ置き場でした。慌てて帰ったけど、家の人は転勤だかで海外にいった後で……」
声が詰まった。
「オレは、結局誰にも見向きもされなかった」
ガラクタなんです、オレ。そう続けるのがやっとだった。
「……さあて、そいつは分からねえよ」
生まれた沈黙を破るように、サターンがゆっくりと言った。
断言というよりは、本当に考え込むような物言いだった。
「今度は俺の話をしようか。……俺はな、この星のロボットじゃねえんだよ。見な」
サターンは、彼のアーマーの首周りをなぞってみせた。よくよく目をこらすと、そこにびっしりと何かが刻んであるのが見てとれた。
ハングルとビルマ文字とパスパ文字を足して3で割ったような記号の羅列に見えた。少なくとも、コンパスマンの電子頭脳内のフォント集には存在しないものだった。
「文字……?」
「そう、文字だ。俺の型番と所属なんだがな」
「所属?」
「ああ。俺たち……俺と、一緒に来た連中は、ここからずっと遠い星で生まれた戦争用のロボットだった」
サターンは、すっとどこかを見る目になった。それは厳しく、恐ろしげに映った。
「戦ってばかりの星だった。俺たちはそのためだけに造られて、おっかねえ武器だの何だの持って、ケモノみたいに殺しあっていたっけ」
「…………」
「その星はな、今はもうねえんだよ。……いや、星はあるがヒトはいねえ。ロボットも俺たちで最後だ。……みんなみんな無くなっちまったのよ、戦争でな」
「……そんな……」
「俺たちは穴倉に逃げ込んで、つながれた犬みてえに生命維持装置にぶら下がってな、千年も動けなかったよ。他の穴にもそんな連中はいたらしいがね、長ーい間に装置がみんないかれちまった……。結局、俺たちの所だけが助かった」
サターンはそこで言葉を切り、少しのあいだ目を閉じた。
「この星に来てからも、楽じゃなかったよ。おかしげな連中がずいぶん、俺たちの能力を欲しがってな、みんなばらばらの部品にされるとこだった……」
「…………」
「結局、ワイリー先生が見かねて引き取って下すってな、ここでこうしているってわけだ。……だがね、それでも常々、思ってるんだよ」
「……何を、ですか」
「お前さん、さっき自分をガラクタと言ったね。だがね、俺はそうは思わねえよ」
「…………え?」
言うなりサターンは自分の輪を外し、がんとテーブルの脇に置いた。
途端、テーブルがその中に吸い込まれた。
あっと声を上げたコンパスマンを横目に、彼はその輪を壁に向けた。瞬間、テーブルがそこから勢いよく吐き出され、壁にぶち当たってけたたましい音を立てた。
「な。これでも随分抑えてるんだ。でもこの通り、掃除機にもなりゃしねえよ」
サターンは再びリングを襷がけにして言った。だが、コンパスマンは答える言葉を持たなかった。
「俺はあの星の技術の一番いいとこを集めて造られた。だがどうだ、やってきたことは戦、戦、戦だ。他の心得は何もねえ。この星に来てからだって、それは同ンなじだよ」
サターンは転がったテーブルに目を向けたまま、低い声になった。
「兵隊が入り用なのは荒れてるご時世だけさ。身の置き所がねえのは俺たちのほうだ……」
そこまで言うと、彼はふっと表情を緩めた。
「なあ、お前さんのその輪はいいな、直せばまたこの世界で役に立つ。俺にしてみりゃそっちのほうがどれだけ羨ましいか知れねえよ」
「…………」
「いつだって、世の中引っ掻き回すだけの能力さ。俺たちこそ、はなから用済みなんだ……」
そのとき、コンパスマンの脳裏に閃いた顔があった。
「そんなことないです」
それは、思わず声になった。
サターンが怪訝な顔になったが、コンパスマンは続けた。
「オレと一緒にこの基地に来たやつの中に、戦闘用ロボットがいます。そいつ、今からずっと先の未来の世界で、他のロボットとケンカしたのが原因でいろんな所から狙われて、それで世界をめちゃめちゃにして、今の時代に渡ってきたんです」
「……へえ……!?」
「おっかないですか?」
コンパスマンは、サターンの顔を真っ直ぐに見返した。
「でもあいつ、友達なんです」
「あいつ言ってました。自分はこの手で世界じゅうを破壊してしまったけど、それがどんなに大変な事か、その時になるまで気がつかなかったって」
今度はすらすらと言葉が出た。どうしても言いたかった。
「あいつは、オレに死ぬなって言ってくれた。頼むから生きててくれ、私はそれだけで救われるからって……。もしあいつがそう言ってくれなかったら、今ごろオレはここにいない。他のみんなだって、きっとああして集まらなかった」
相手はぴたりと彼に目を据えたまま、一言も差し挟まずに聞いていた。その姿は恐ろしく見えたが、同時にひどく頼もしくも見えた。それに突き動かされるように、彼はしゃべり続けた。
「だから、その、ええと……うまく言えないけど、戦闘用だからダメだとか、そういうのじゃなくて、戦闘用だからわかることって、あると思うんです。だって……」
「……あいつはオレを助けてくれたし、そうだ、それにサターンさんだってさっき、オレみたいなやつの力を役に立つって言ってくれたじゃないですか!」
そう言ったきり、絶句した。
ひどくぼうっとした頭のまま、彼は相手が穏やかに微笑するのを見た。
「お前さんのその言葉の礼に、ひとつ話をしようかね」
相手は、静かにコンパスマンの言葉を引き継いだ。
「さっき、同じ星から来た奴が他に九人いると言ったんだが、その中の一人は敵方だ」
サターンがゆっくりと続ける話に、コンパスマンはただ聞き入った。
「あの戦は、俺たち九人を造った国とそいつを造った国との戦だった。ひどい泥沼だったがね、それにとうとうケリをつけちまったのがそいつさ。俺たちの国も自分の国も、一切合財根絶やしにしてね。……そうさ、そいつも一人で世界を一つ、滅ぼしちまったんだ」
「…………」
「もちろん、始めは憎かった。あれだけ長いこと殺しあってきた相手だし、何より俺の生まれたところを根こそぎ消し飛ばしちまった奴だからね。だがね」
サターンは、言葉を探すように話を区切った。
「そのうち気が変わってきた。今じゃあの星の生き残りは俺たちとそいつ、ただそれだけだ。そうなっちまうとね、敵だ味方だなんざもう、何にもならねえのよ」
その声は、どこか優しげに聞こえた。
「それでなあ、あの星を滅ぼしたってことは、そいつ、他の奴を自分の手でみーんな、殺しちまってるわけだ」
「……それって」
「そうさ。要するに……な?」
サターンの問いかけにコンパスマンは無言でうなずいた。友人の顔がよぎった。
「そう思ったらな、どうしても憎みきれなくなっちまってねえ。……お前さんの『友達』の話を聞いて、ひょいと思い出したんだ」
「…………」
「そいつもやっぱり俺たちと同じく、あの星につながってるんだよ。俺たちがあの場所を思い出すよすがは、あと八人の仲間の他にはこの世のどこを探したってあいつただ一人なのさ。それはあいつもきっと同じだろうよ」
サターンは、またあの穏やかな微笑を浮かべた。
「なあ、不思議なもんだね、縁てのは? お前さんと俺、俺とそいつ、そいつとお前さんの友達、友達とお前さん……」
と、不意にサターンが左手を耳に当てた。そのまま数秒間目を閉じると、やがて目を開けてコンパスマンににやっと笑った。
「さてと、縁つながりだ。たった今通信が入ってな、食堂で昼飯のお呼び出しなんだが、一緒に来ねえかい? 他の連中に紹介してやるよ」
「え!?」
思いがけない展開にどぎまぎする彼の肩を、サターンはばんと叩いた。
「心配しなさんな、おっかながる事なんぞねえよ。みんな、お前さんたちが入ってくるのを待ってたんだ」
「で、でも」
コンパスマンが口ごもったとき、彼の輪がけたたましい音を立てて足元に落ちた。
サターンは目を見開いたが、今度は彼の輪が落ちた。彼はとっさに足を上げ、引っ掛けて止めた。
「やっぱ、腹減ると落ちるな」
「落ちますね」
聞く人もいないはずなのに、二人は小声で言い交わし、それから声を立てずに笑いあった。
「オレも、一緒に食堂行っていいですか」
「構わねえよ。案ずるより産むが安し、だ」
言いながら、サターンは壁際に転がったままのテーブルを戻しにかかった。
「あーあ、凹んだな。ま、内緒ってことで、な」
「秘密、秘密」
手を貸しながら、コンパスマンも返した。もう一度、笑いがこみ上げてきた。
「じゃ行くか。飯だ、飯」
「はいっ、よろしくお願いします」
「ああ、俺こそよろしく」
そのまま二人ぶんの足音が連れ立ってラウンジを去り、ひとつのテーブルと二脚の椅子だけが残った。
(了)
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コンパスマンとサターン。ジャイロマンは出ないよ。
ルーラーズ部屋に入れられなくもないんですが、一応おもにコンの視点なので、こちらに格納。ディメンションズがゴタゴタの末にワイリー基地に引き取られたあたり、って脳内設定です。
当初は「お前さんの輪の方が役に立つ……」云々の、要するに輪バナシだけの予定でした。それがフタ開けてみたら、まあ拡がること拡がること。
ディメンションズとルーラーズはこんな過去を経てることになってます。
あ、サターンの言ってる「そいつ」てのはサンゴッドです。敵方の最終兵器という筋書。
題名は「金属の輪」ぐらいの意味です。そのまんま。輪っか持ってるロボットはこんなこと考えて生きてるに違いないんだ。
……ほんとはタイトル決まんなかった苦し紛れです。いまだに苦しい。