ダイナ兄ちゃん、なんでロボットは映画見ちゃいけないの。チビ助に聞かれるのはもう六度目だが、それでも彼は答えてやった。
「そういう決まりなんだよ。ロボットが映画館で見て、中身がよそに漏れたら困るからさ」
「チョサクケン?」
「そう、著作権」
ほら行くぞ、と弟の手を軽く引いてその場を離れたが、遠ざかる映画館の看板のPOKEMONの文字に弟の目がじっと注がれているのを彼は見る。
「……シャーキー、そんな顔するなよ。いつまでも駄目なわけじゃないさ。DVDが出たら借りてあげるから、それまでガマンしなさい。な?」
うん、と大人しくうなずいた弟……シャークマンに、彼……ダイナマンは、顔だけは微笑んでやった。
著作権なんて言葉をついに覚えたか、こいつも。人間にすれば五歳そこそこのチビさんにはいかにも不似合いな単語だった。
アメリカは州ごとに法律が違う。二人が買出しに来たこの州では、ロボットは映画館には入れない。DVDの販売・レンタルが解禁になる前に、映画を見たロボットの記憶から映画部分を抜き出して違法に配布する行為を防ぐためだった。
一方、彼らが住んでいる州には今のところ、その制限はない。ただし彼らの居住地からは自州の市街地は遠すぎた。街で用足ししたかったら、隣の州に出るしかない。
街に用事ができると、彼は弟たちの誰かを一緒に連れて行ってやる。滅多に出ることのない街に弟たちはみなはしゃぐけれど、時々無理を言っては彼を困らせる。
中でもシャークマンは映画館に入りたがった。
映画見たいよお。駄目だよ、ロボットはいけないんだ。どうして。ロボットが見て、他の人に記憶をばらしちゃうといけないだろう。おれ、しゃべらないもん……。でも駄目なんだ、ロボット著作権法っていう法律で決まってるんだよ。毎度、判で押したようなこのやりとりだ。
でももう、最近はそれきりごねなくなった。駄目と言われると黙って看板を見上げ、兄の顔を見上げ、あきらめるのだ。
* * *
平日とは言え昼時のショッピングモールはさすがに混んでいた。はぐれないよう、ダイナマンは弟の体を引き寄せた。
「兄ちゃん、ドッグショーやるって。見に行っていい?」
「ああ、お金払っちゃってからな」
しゃべりながら、二人はカートを押してレジ待ちの列についた。
「ザンネンだねえ、ブレードも来られたらよかったのにね」
シャークマンは、犬好きの兄弟の名を口にした。
「……そうだな」
一人といわず、みんな連れて来ることができたらどんなにか楽しいだろう。だが、それは無理な話だ。
「あら、可愛らしいロボット。ね、この子譲ってくださらない」
不意に後ろから上がった声が自分に向けられたものだと気づくのに少しの間があった。
「……え」
振り返ると、すぐ後ろの老婦人が笑いかけてきた。品のいい姿だった。
「孫がね、秋から小学校に上がるの。お祝いに何かと思ってたとこだったけど、この子が友達になってくれたらいいわねえ。ね、譲ってくださらない。お金なら」
言いながら、老婦人はごそごそとバッグを探り始めた。
「あ、あの」
ダイナマンは慌ててさえぎった。
「申し訳ありませんが、お断りします。その……弟ですので」
老婦人は驚いた顔になった。
「あらあ、ロボットにも弟なんてあるのねえ」
ちょうどその時、端のレジが空いた。ダイナマンはぽかんとしている弟をひっ抱え、失礼しますと言い残してそそくさとレジへ急いだ。
今のひとが、せめてもっと意地悪そうならよかった。清算を待ちながらダイナマンは考える。もしそうだったら、にべもなく言ってやれるのだ。失礼ながらマダム、それは誘拐です。
だが別に、今の老婦人は特殊な例外ではない。
ここを含めて大多数の州ではロボットの人格を認め、ある程度の権利を保証している。しかしまだまだ多くの人間にとって、ロボットは道具か、でなければ犬猫と同じだった。人間から向けられる目には好奇や反感がままあるし、法律で禁じられているにもかかわらずロボットの連れ去り事件も後を絶たない。
だから、一度に二人以上は連れて歩けない。目が届かないのだ。
老婦人はいかにも優しげで、きっと孫にとってはいいお婆ちゃんなのだろうと思われた。それがなおのこと悲しかった。
会計を済ませて横を見ると、弟の姿がなかった。
とっさに老婦人を振り返ったが、彼女はまだレジ待ちをしていた。
「シャーキー……」
呼びながら周囲を見回すが、姿は見えない。慌てて探知モードをオンにした。
反応はなかった。
ぞっとした。そんなはずは。
「……シャーク!」
* * *
兄の横で清算が終わるのを待っていたシャークマンが退屈してひょいとレジの外に出てみると、くたびれた服の中年男が歩いていくのが目に入った。
途端、シャークマンの目は、男の手に釘付けになってしまった。男は、シャークマンが大好きなアニメキャラクターのぬいぐるみを持っていたのだ。大人の持つものではなかったが、そんなところまで彼は気づかずにとことこと男の後をついて行った。
と、男がひょいと振り返り、笑顔で手招きして言った。
「坊や、映画見に行かないか」
「映画?」
シャークマンはぱっと顔を輝かせた――が、すぐに沈んだ声になった。
「でも、ロボットはいけないんでしょ」
「坊やなら人間に似てるから、ちょっと上からコート羽織れば大丈夫さ。……いや実はね、おじさんの子供が病気になっちゃってね。チケットが余っちゃってるんだ。だから坊やに見てもらって、あとでその子にどんな映画だったか教えてあげてほしいんだよ」
「へええ……でも、DVDじゃだめなの?」
シャークマンの何気ない一言に、男は一瞬詰まったように見えた。
「ああ……その、すごく楽しみにしてたんだよ。だからさ、人を助けると思って、ちょっと手を貸してほしいんだ」
「そしたら、兄ちゃんに言わなきゃ」
「いや、いい、いい」
男は、手をぶんぶんと振った。
「迷子になったらどこかで待ち合わせしようって決めてるんだろ?」
「うん、スーパーの入り口のとこ」
「なら、映画が終わったらそこに行けばいいじゃないか」
男の言葉は、シャークマンを納得させるには充分だった。
* * *
荷物をありったけのロッカーに預け、ダイナマンは公衆ネット端末の椅子にくずおれていた。
<シャークがいないってどういうことだよ、お前、一緒だったんだろうが!>
ネット電話の向こうでボルトマン――やはり彼の兄弟であるロボットが怒鳴る。
「……済まん」
ただただそう言うしかなかった。目を離したのは自分なのだ。
<……まあ、そうなっちまったモンはしょうがねえ。どうする、そっちに行くか?>
一瞬の沈黙。
「いや、そこにいてくれ。お前もソニックも。時間的に無理だし、留守に何かあったら取り返しがつかん」
<分かった。何かあったらまたかけてくれ。……頑張れよ>
「……ああ、そっちは頼んだ」
通信を切り、ダイナマンは重い息を吐いた。
シャークマンが消えてから一時間になる。モール内をくまなく歩き回り、幾度も待ち合わせ場所の入り口に戻ったが、手がかりはない。
仮にジャミング装置か何かの仕業なら、もう少しセンサーの感度を上げれば探れないこともないだろう。だが今現在、彼は州法で定められた電波の上限ぎりぎりで探知をしていた。これ以上強くすれば、今度は警察にマークされかねない。
彼の立場上、それは絶対に避けたかった。彼を含めた兄弟は全員、非合法的に人口衛星を監視するために造られたロボットだ。捕まればどうなるかは目に見えている。
それは同時に、警察の助力も、そして日々自宅の警戒に手一杯な兄弟たちの協力さえ得られない中での解決をも意味していた。
もう一度軽く息をつき、彼は立ち上がった。
* * *
まったく楽しい時間だった。
その男は、シャークマンにぬいぐるみを持たせてくれた。
――おじさんの子供のなんだが、おじさんが持ってちゃ恥ずかしいからね。映画が終わるまで貸してあげよう。ただし、大事なものだからぶつけたりしちゃだめだよ。
シャークマンは大喜びでそれを抱えて歩いたものだ。
しかしさすがに、だぼだぼのコートを着せられて大きな帽子をかぶせられた時はなにか恐ろしく、映画館に入るまでずっと兄ちゃんのことが頭に浮かんでいた。
が、スクリーンに映画が大写しになって両脇から音楽がなった瞬間、それは跡形もなく消し飛んでしまった。 何しろ、あんな大きな映像を見たのは初めてだったのだ。
映画館を出るとき、シャークマンは大はしゃぎで、うっかりドアの柱にぬいぐるみを打ち付けてしまった。
* * *
不意にはっきりした反応を捉えた。
間違いない、シャークだ。が、その反応の場所を知ったとき、ダイナマンの顔は引きつった。
――――映画館!?
彼は全速力で表通りへ駆け出した。
* * *
男はシャークマンからぬいぐるみをひったくると、慌てたように調べだした。
その様子はシャークマンをおびえさせた。
「ご、ごめんなさい」
「…………。いや、大丈夫だよ。さ、行こうか」
男は彼に笑ってみせ、その腕を引いて歩き出した。が、変に急ぎ足で、その手には先ほどまでとは違う力がある。
「おじちゃん、おじちゃんてば! 痛いよ」
「お、お。ごめん、ごめん」
そう言い、男は足を緩めたが、じきにまたもとの速さに戻ってしまう。半ば引きずられる格好で、シャークマンは必死について行った。
* * *
反応が移動し始めた。
ダイナマンは舌打ちした。徒歩だが子供の足取りではない。
誰かが一緒にいる。
* * *
二人が入った先は、裏町の古いアパートの一室だった。
そこに男の子供がいるのかとシャークマンは思ったのだが、ドアの中は機械ばかりで、人間もロボットも見当たらない。
「おじちゃんの子は?」
彼は訊いてみた。
「……ああ、ここじゃないんだ。病院にいてね。だから」
男は、その辺から一本のUSBケーブルを取り上げた。
「これで君の頭の中から映画のところを写して、その子に見せてあげようと思うんだ」
「……でも、それって、いけないんじゃないの?」
「いや、大丈夫さ。おじさんの子に見せるだけだから」
「でもやっぱり、おれがその子に話してあげる」
「大丈夫だよ。ほら、」
笑顔のまま、男はシャークマンの腕を掴んだ。シャークマンは腕を引こうとしたが動かなかった。強い力だった。
「痛い!」
「ガラクタがッ、手間取らすな!!」
不意に男が怒鳴り、シャークマンはびくりと固まった。
男はその手を開かせ、指先のコネクタにケーブルを差そうとした。
瞬間、がん、と音を立ててドアが開いた。
二人は弾かれたようにそちらを向いた。
「…………兄ちゃん!!」
* * *
ドアを蹴り開け、入った途端、ダイナマンの背筋は凍りついた。
弟と、その腕を引っ掴んでいる男。周囲の機械はDVDの高速レコーダー類とPC、そしてディスクの山。
間違いない、違法DVDデータの秘密工場だった。
「おっと動くな。不法侵入だぜ」
一瞬の隙をついて男が銃を上げ、シャークマンの首筋に向けた。
「なに、ちょいとこの子にご協力願ったまでさ。お前さんの買い物が多くて退屈してたみたいなんでね、映画の料金はおごりだ。ギブアンドテイクだよ」
「…………」
「だからね兄さん、ちょいとばかし待ってくれりゃいいんだ。それで終わりだよ。……ま、確かにあんたらの経歴にゃキズはつくだろうがね、用心を怠った方が悪い」
男がにやりと唇の端を吊り上げた。
突きつけた銃に、ぐっと力が入る。硬直したままのシャークマンの顔がゆがんだ。
「どうだね、五分でいいんだが」
ダイナマンは弟を見、男を見――ゆっくりと息を吸い、声を出した。
「あんた、何か勘違いしてるんじゃないのか」
「あん?」
「俺を誰だと思ったのか知らないがね、あんたは『落第』だと伝えておこう」
できるだけ冷たい笑顔になるよう心がけながら、ダイナマンは言い放った。
「お、おい、ちょっと待てよ兄さん。どういうことだ」
男の声が心持ち動揺した。
「どういうことだも何も。……用心を怠った方が悪いって言ったな、その通りだよ。ジャミング入りのぬいぐるみはいい手だったが、子供に持たせるにはクッションが甘かったな。こんなにあっさり場所を掴まれちゃ信用できない。あんたとの縁もこれまでだとボスに言っておく」
「ま、待て! 待ってくれ、今までずっとうまくやってきたろうが」
男が悲鳴じみた声を上げた。それには答えず、ダイナマンは掌を差し出した。
「み……右の胸ポケットだ」
男は震える声で言った。
ダイナマンは極力無造作に近づき、男のポケットに手を入れた。50ドル札が1枚。引き出して、舌打ちしてみせた。
「まあいいだろう。ウチの若いのも返してもらうぞ」
彼はシャークマンを抱き上げると、駄目押しした。
「それから、俺をどうにかしようなんてケチな了見は起こさないことだな。撃ったところで、俺のアタマが止まるよりも俺があんたの失敗を送信するほうが早いぜ」
彼はわざと相手に背を向けると、シャークマンを抱え込んでかばう体勢でゆっくりと外へ出た。
* * *
車は、山の中の国道を走っている。
あの部屋を出てから、角を曲がるまで、これ以上ないほど神経が磨り減ったに違いない。
アパートが見えなくなってからは一目散に走った。ショッピングモールのロッカーから荷物を回収し、シャークマンともども車に積んで大急ぎで出てきた。
途中、警察に違法DVD工場をワイヤレス通信で通報してある。無論こちらのシッポをつかまれないよう細工した上でだ。50ドルはショッピングモールの募金箱に突っ込んできた。
助手席のシャークマンは何も言わない。ダイナマンも何も言えずにいた。
知らない人について行ってはいけないと日頃から教えてある。が、結局は目を離してしまった自分の責任だ。そのせいで、あんな目に会わせてしまった。
そして、あんな姿も見せてしまった。
兄弟の所属する衛星観測所におけるダイナマンの役割は、主に渉外である。自分たちを森林保護官に見せかけるための偽免許の管理や周囲との付き合い、役所の手続きその他もろもろ。
つまりは、生き延びていくための交渉……嘘を担当していた。
警察や他のレンジャーに怪しまれたことも、ないではない。そのたびに肝を冷やしながら、それをおくびにも出さずに切り抜けてきたものだ。
先ほどの男に言ってのけた内容ももちろん、ブラフだ。
あの手の仕事は単独ではできない。まず普通、何かしらの組織とつながっているものだ。男が扱っていたDVDの多さ、機械のよさからも、男がある程度まとまったバックアップを受けていることを裏付けていた。
だからとっさに、その上部組織が行った「抜き打ち検査」に見せかけ、シャークマンを取り返した。
だが、そういったえぐいやり取りを彼が弟たちに見せたことはなかった。そんな兄も、そんな世界も教えたくはなかった。
けれど、今日はそうはいかなかった。
――シャークは、俺をどう思ったろう。
それでも兄として、この場で何か言わなければいけないのは彼のほうだった。この小さな弟はどれほど恐ろしい思いをしたろう。
彼は口を開こうとした。
「……兄ちゃん、ごめんね」
不意に傍らから声。
「…………」
「おれ、ガマンしたらよかったな」
「……いいんだ」
声を震わさないよう、ダイナマンは静かに言った。
「ごめんな、目、離して。怖かったろ」
目は前方に向けたまま、そっと右手だけ、小さな頭の上に置く。
「ん……」
頭がうなずくのが、動きで分かった。
<……次のニュースです。○○市内で違法DVDの製造を行っていた業者が摘発され……>
ダイナマンは、すっと右手でシャークマンの掌を掴み、人差し指のUSBジャックを弟の親指のコネクタに差した。そのまま保護者権限で脳にアクセスし、聴覚を操作する。
今シャークマンには、自分の声と、ダイレクト通信している兄の声しか聞こえないはずだった。
ダイナマンは車を自動運転モードに切り替え、不思議そうに自分を見上げる弟にダイレクトで話しかけた。
<な。あれ、何ていう歌だっけ。お前が好きなアニメの>
<ポケモン?>
<そう、それだな。兄ちゃんに歌って>
指を通して、歌声が頭に聞こえ始めた。随分上手に歌えるようになったな。そう思いながら、彼はカーラジオにも耳を澄ませる。
<……警察が家宅捜索したところ、現在公開中の映画を違法に収録したと見られるDVDが大量に発見された他、隣室からは少なくとも12体分にのぼると見られるロボットの残骸が発見されました。いずれも損傷が激しく、頭部を破壊された後に分解されて一部のパーツを売却されたと見られています。警察では著作権法違反のほか、ロボット保護法違反の疑いもあるとして……>
そんなことだろうと思った。男の手口は随分と慣れていたから。
彼は、弟の手を握り締めた。何も知らずに弟が握り返し、楽しげに違う歌を歌い始めた。
いつか、自分がこんな嘘をつかずにすむ日が来るのだろうか。
その姿を見ながら、ダイナマンは思う。弟たちや自分……ロボットが何の不安も心配もなく、気ままにどこにでもいける日が、と。
ふと、一人の人間の姿が脳裏をよぎる。よれよれの白衣、強気な目。それはひどく懐かしい姿だった。
だが彼は慌てて、そのイメージを意識の外に追いやった。
<兄ちゃん、どうしたの。だいじょうぶ?>
弟の声。
<ああ、大丈夫だよ>
答える声に明るさを込めようとする。違う、自分は弱気になどなってはいない。
弟が自分の手を握るのを感じる。ただそればかりが彼にはひどく温かい。
(了)