:: 第一章 帰郷

 深夜に日本の領空を出たワイリーマシンは公海上を東へ飛行している。

 このまま行けば明日の午前中には日付変更線を越え、アメリカ領内に入る頃には日が暮れているだろう。ワイリーマシンは世界中から超法規的手段で得た軍事機密に独自の技術を合わせたステルスシステムを装備しており、どこの衛星だろうがレーダーだろうが屁でもないのだが、身を隠すには日が落ちているに越したことはない。

 ――なにせ、自他共に認める「法の埒外の人間」なのだ、自分は。

 そして、そんな男に造られた「隠し子」たちは、世界の警察をもって任ずる超大国の、そのただ中に取り残される格好になっているはずだった。

 そんな現状をワイリーから聞かされた息子たちは全員が全員、深い深いため息をもって応じたものである。
 ともあれ、その話が事実ならばそのロボットたちは彼らの実の兄弟なわけで、是非すぐに顔を合わせたいし、必要ならば(ほぼ間違いなく必要だろうが)そこから助け出さねばならない。と全員一致した見解のもと、急遽ワイリーと非番のロボットたちでチームが組まれ、今回の大旅行と相成った次第である。

「博士、お休みになったらどうですか」
 背後から声をかけられた。夜番のマグネットマンだろう。
「む。いや、もう少しここにおる。まだ少々、確認したい情報があるのでな」
「そうですか。ほどほどになさって下さいよ」
 トシなんですから。相手がそう言いたいのがワイリーには分かった。なにせ我が子だ。
「うむ、わかっとる」

 マグネットマンが行ってしまうと、部屋はまた静かになった。

 ――我が子、か。

 ワイリーは窓の外を見やったが、雲が出ていると見えて文目もわかぬ闇である。


 * * *


 本土上空にさしかかったのは、予定通り夜だった。レーダーも異常なし、おまけにうまい具合の雨で、わざわざ空を見上げる者もないと思われた。

「あの、本当によろしいんですか」
 ハードマンとスネークマンが落ち着かなそうに声をかけてよこした。
「いいも悪いも、そこが目的地じゃと言っとろうが。そのまま飛べい」
「でも、国立公園のど真ん中ですぜ。こんなとこに基地なんて建てられねえハズじゃ」
「『だから』じゃよ。心配するな。レンジャーの小屋に偽装してある」
「な、なんて地球に優しくないことをッ」

 乗員の恐慌をよそにワイリーマシンは飛行を続け、二時間ほどでついに推定目的地の上空へ到達した。
 ワイリーの着陸指示で、マシンはゆっくりと降下を始めた。
「お、あれかな」
 エアーマンが指差した辺りにかすかな灯りが見えたようだった。降りていくにしたがって、それは確かに少しずつはっきりしてくる。
「やーれやれ、留守じゃないみたいですね」
 ジュピターの言葉に一同はひとしきり笑った。

 が、いざ機体が地上についてしまうと、今度は妙な沈黙が降りた。
「おい、皆どうした」
 ようやく口を開いたのはワイリーだが、理由など分かりきっている。

「いえ……博士、どうぞ」
 フラッシュマンが出口を指差した。
「久しぶりのお子さんなんだから、早くお会いになったほうが」
「むう……分かっとるわい。ちょっと心の準備が要るんじゃ」
「案ずるより産むが安しって言うでしょうが。もう産んじゃってるんだから余計早く行かないと」
 焦れたのか、メタルマンが妙な急かし方をする。
「わーかった。分かったわい。今行くッ」
 半ばやけになり、ワイリーはドアを蹴り開け、一気にタラップを駆け下りた。


 * * *


 機内の一同が窓から見下ろすと、その基地は案外小さかった。ワイリーが言うとおり、レンジャー基地でも充分通るだろう。
 その扉の前で、雨も降っているというのにワイリーはもうかれこれ五分はうろうろしている。家から閉め出された飼い犬に見えなくもなかった。

「あーあ、何やってんだか」
 一同は、ここ二、三日で数度目のため息をついた。
「こんなような話、どこかで読んだ気がするんですが」
 シャドウ――ロックマン・シャドウがぼそっとつぶやいた。
「劇の台本だろ。落ちぶれて二十年ぶりだかで家に戻った放蕩オヤジが長男に叩き出される話」
 肩をすくめてウェーブマンが応える。
「ほんとにそうならなきゃいいですけど」
「案外、忘れられてたりしてな。こっちも十年ぶりみたいだし」

「お。見ろよ、ノックしたぜ」
 エアーマンが下を指差し、一同は慌てて窓に張り付いた。


 手動式の古めかしいドアが内側から開き、さっと明かりがこぼれた。
 中の人物は逆光で影しか見えない。ワイリーと彼が対峙したまま、無言の数秒間が流れた。


 と、その人影のものと思しきダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッド! という大声が強化ガラス越しにもはっきりと響いた。続いて人影は中を振り返り、早口の英語で叫びだした。
 みんな! みんな早く来てよ、ダッド(父さん)だよ! ダッドが帰ってきたんだ……
 屋内でわっと大勢の動く気配。五人はいるようだ。

「やれやれ、追ん出されずに済んだみたいだぜ」
「第一関門突破、かな」
 一同がうっかり安心しかかったそのとき、ワイリーがマシンの窓を見上げ、こちらに大きく手招きした。
「……おい。どういう意味だ、ありゃ」
「来いってことかな?」
「マジかよ。せめて先に話通しといてくれないと」

 たっぷり数秒間のパニックの後、一同は外を見下ろした。
 屋内からどやどやと出てきたいくつもの人影がワイリーを取り囲んでいる。やはり姿かたちははっきりしないが、みな雨の中ではしゃぎ、嬉しげに見えた。
「わざわざ出てってアレの邪魔すんのもなあ……」
「でもやっぱり兄弟なんだしさ、早いうちに面通ししといたほうが」
 結局、一同は意を決して姿をあらわすことにした。

 が、タラップを降りて建物の前に立ったとき、今度こそ彼らは凍りついた。


 * * *


 何かものすごく見覚えのある顔ぶれが、そっくり目の前に並んでいる。
 いや、見覚えがあるというより日夜見慣れた、もっと言えば彼らのうち大部分の者と酷似した顔を、その六人ばかりのロボットたちはしていた。
 そして、やはり黙ってしまったところを見るとあちらも感想は同じらしい。
 まあ、兄弟の証明と言えなくもなかった。そんな証明が必要とはどうしても思えなかったが。

「あー……えー、と、I'm... glad to see you. My name is Air Man, belong to the Dr. Wily Numbers...」
 この沈黙をとりあえず打破すべく、エアーマンは果敢にコンタクトを試みた。
 彼に限らずワイリーロボはみな数ヶ国語のソフトを入れられており、したがって以下の会話は全て英語なのだが、ここでは便宜上日本語で記す。
 ともあれエアーマンとしては無難な自己紹介のつもりだったはずが、「ワイリーナンバーズ」のフレーズを聞いた途端、相手側に動揺が走った。


「ワイリーナンバーズって……ダッド、まさか……この人たち、隠し子なの?」


 あー、そういう考え方もあるかもしれない。そっちから見れば確かにね。発想の転換だね。
 虚を突かれた頭でウェーブマンはぼんやりと考えた。
 ていうか何とかしろよ「ダッド」。仮にもダッドだろ。

 空気を悟ってか、ワイリーがようやく重い口を開いた。


「う、うーむ……隠し子というわけではない。彼らはの、ワシと一緒にお前たちに会いに来たんじゃ。ワシは……場合によってはお前たちを連れて戻るつもりで、ここに来た」


 その言葉はやはりと言うか、相手のロボットたちを動揺させるのに充分な一撃に見えた。
「連れて……って、どこへ? ダッドはここで暮らすんじゃないの?」
 そのうちの一人……マグネットマン似のロボットが呆然と聞き返す。その姿を見てメタルマンは、やはり来るべきではなかったのではないかという疑念を留められなかった。本意はどうあれ、自分たちは確かに招かれざる客なのだ。
 博士、今はもう遅いですしとりあえず明日に。彼が出そうとした言葉はしかし、唐突な別の声にさえぎられた。


「それより、雨も強いんだからひとまず入ってもらったらどうだ」


 見ると戸口にもう一人、大柄なロボットがいた。誰とも似てこそいなかったが、雰囲気にはやはりワイリーロボの面影がある。
 だがその表情は硬く、声はよそよそしい。
 それだけ言うと、彼は何か言おうとしたワイリーに目もくれず、ふいと奥へ引っ込んでしまった。

「あ、そうだね……ダッド、入って入って。皆さんも一緒に」
 ワイリーを引っぱりこむようにドアに入れながら、「兄弟」たちが家の中を示す。
 他にどうしようもないので、一同はとりあえず言葉に甘えることにした。


 * * *


 外から見たとおり家の中は広いとは言えず、そこへ持ってきて人数が倍増しているので、多少窮屈ではあった。
 が、居心地は存外悪くなかった。物が少ない上に整頓が行き届いているためだろう。
 どこにしまってあったのか、驚くほど大量のタオルを貸してもらって、一同はひとまず濡れ鼠の体を拭くことができた。タオルは新しくはなく、どこか暮らし向きの不自由さを思わせたが、きれいに洗濯されていた。

 その間にお互い、簡単な自己紹介があった。
 最初にワイリーを見て大はしゃぎした六人のロボットたちはそれぞれ、マグネットのないマグネットマン似のロボットが「トーチマン」、黄色いハードマンが「ビットマン」、紫色のメタルマンが「ブレードマン」、頭に注ぎ口のある赤いフラッシュマンが「オイルマン」、ヘビの部分がサメになったスネークマンが「シャークマン」、そしてプロペラの代わりにトゲのついたエアーマンが「ウェーブマン(この名を聞いてエアーマンだけでなく「こちらの」ウェーブマンも絶句した)」、という名を持っていた。
 そして六人とも、見た目はともかく気のいいロボットと見え、一人がしゃべっている間に他の者がタオルを替えたりライフエネルギーを持ってきたり、誰かが何かしら立ち働いている。

 てんやわんやの中でも話題の中心に据えられるのはやはりワイリーで、当初の危惧が取り越し苦労だったかのようにこの六人の「息子」たちから大歓迎を受けることになった。
「ダッド! ほらこれダッドのカップ。捨てないでよかった、また使うでしょ」
「ねえダッド、あれからずっと毎日データ取ってるんだ。もうだいぶ溜まっちゃって保管室がターイヘンなんだけど、今見に行く?」
 雨あられと浴びせられるそれらの言葉一つ一つに、ワイリーもまた笑顔で返していた。
 その姿は子供か孫の相手をする好々爺に間違いなく、しゃべっている言葉もそもそも母語なだけあって流暢な英語である。
 それは日頃マグネットマンが見知っているはずの偏屈じじいとはどうしても結びつかなかった。
 ――爺さんには爺さんの世界があったか。
 その感情をなんと呼んでいいか、そのときの彼には解りかねた。
 ともあれ、お芝居と違って平和裏に行きそうだから、そこは安心しないとな。マグネットマンがそう思いかけたとき、不意に奥のドアが開いた。

 姿を現した相手を見て、マグネットマンだけでなく他の者たちの顔も一瞬引きつったはずである。
 またしてもそっくりさん……今日は来ていないが、彼らが同僚バブルマンによく似たロボットだった。
 が、そこに反応している場合でないことは、相手の雰囲気で分かった。

「はじめまして、ソニックマンと言います」
 ひどく他人行儀な声だった。

 続いて出てきた二人のうち一人はボルトマン、もう一人……先ほどちらりと姿を見せた大柄なロボットはダイナマンと名乗った。
 しかしこちらも、丁寧な言葉とはうらはらに口調は冷たい。
「お構いはできませんが、ゆっくりなさっていくといい」
 ダイナマンのその言葉を言葉どおりに受け取るものはこの場にいないだろう。

「……ダイナマンか。みな、元気そうで何よりだ」
 ワイリーがゆっくりと口を開いた。顔色伺いでなく、本心のように聞こえた。
「ええ、おかげさまで」
 顔色一つ変えず、ダイナマンが答える。静かな声だが強烈な皮肉だった。
「ねえダイナ兄さん、ダッドにデータ見てもらっていいかな? いいでしょ?」
 取り付く島のない会話にシャークマンが割って入った。ダイナマンは目だけを弟分に向けたが、その視線をすっと外した。
「好きにするといい」

 機械の整備を理由に、ダイナマンたち三人はそのまま奥へ引っ込んでしまった。
 スネークマンがそっとワイリーを盗み見ると、父親は柄にもなくどこかしぼんでいる。
 ――やっぱ、両手広げてオカエリナサイなんて訳にゃいかねえよな。十年ぶりだし。
 父の帰宅を歓迎していない子が、少なくとも三人はいるわけだった。

「ダッド、行こ行こ。クロークも会いたがってたんだ」
 やたら明るい声でシャークマンたちがワイリーを押していく。先ほどは気づかなかったが、部屋の隅に階段があり、地下へと通じているらしかった。


 * * *


 地下室は思いのほか広かったが、窮屈だった。

 部屋いっぱいに大型のコンピューターが置かれているせいだ。が、これがまた馬鹿に古めかしい造作で、コンピューターというものの草創期に造られたのではないかという気にさえなる。
 極め付けにそれがガーガーとけたたましい音を立てて大量のグラフ用紙を蛇腹折りに吐き出し始めたとき、ウェーブマン(無論、ここのではない)は軽いめまいすら覚えた。
 使い物になるんだろうか、ここのデータとやらは。
 外見もチームワークも何だか危なっかしげなロボットたち(仮にも兄弟なのだが)の存在とあいまって、じわじわと不安が膨らむ。

「クローク! 出ておいでよ、ダッドが帰ってきたよ」

 ウェーブマン(無論、ここの)が部屋の隅に声をかけると、その辺りのコンピュータの一部分ががたりと立ち上がった。
 電源が入った、のではない。物理的に立ち上がったのである。大きめの机ほどのそのパーツはそのままコンピュータ本体から離れると、電源ケーブルを引きずりながらじれったくなるほどの遅さでこちらに歩いてきた。
 この巨大なコンピュータを制御している頭脳部分が、「クローク」というこのパーツ(ロボット?)なのだろう。ようやくワイリーのもとに来たクロークは、WELCOMEと大きく印刷された紙を一枚吐き出した。
「お前もまだ現役のようじゃの、クローク」
 ワイリーは紙を拾い上げ、目を細めた。

「ほら、こっちこっち」
 Archive(資料室)と書かれた隣の部屋のドアを開け、ブレードマンが手招きする。中に足を踏み入れたとき、一同はもはや驚かなかった。
 三方の壁は一面の棚で、そこにぎっしりと並べられたファイル。それぞれの背表紙にはみな几帳面に日付が書かれている。先ほどコンピューターが吐き出していたグラフ用紙を綴ったものと思われた。
 つまり、十年分のデータ全てが、紙である。
 ――再入力、どうするんだろうなあ。あのクロークってのもウチのシステムと互換性なさそうだしなあ。
 メタルマンは当然の流れとしてそう思い、当然の帰結として沈黙を守った。

「ほおお、集めたのう」
 それでもワイリーは感嘆の声を上げ、ファイルの一つを手にとってグラフ用紙を開いている。
「でしょ? これだけあれば絶対使えるよ。ほら、これとかさ」
 オイルマンが得意げに別のグラフ用紙を指してみせる。
「よかったあ。ダッドが『絶対帰ってくる』って言ってたから、毎日とってたんだ。それにダッドがいればあいつらだって……」


「オイル」


 厳しい声。
 振り返るといつの間にいたのか、階段の中ほどにダイナマンが立っていた。
「今日はもう遅い、ご迷惑だろうから明日にしなさい」
「だって、兄さん……」
 オイルマンが口を開きかけたが、気おされたか言葉は続かなかった。
「待てダイナマン。『あいつら』とは……」
 ワイリーがあげた言葉のその中ほどをダイナマンが遮った。
「長旅でお疲れでしょう。お体に障りますよ」

 押し黙ってしまったワイリーに、フラッシュマンは声をかけた。
「博士、出直しましょうや。第一、夜中にいきなり押しかけたのはこっちですし」
「ダッド、今晩はここに泊まったら……」
「恐縮です。外までお送りしましょう、ほらみんな、傘をお貸しするんだ」
 押しかぶせるようなダイナマンの声に、オイルマンたち六人が顔を見合わせ、しぶしぶ上へあがった。

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