「なんか、芝居のとおりになっちまいましたねえ」
窓からレンジャー小屋を見下ろし、ハードマンはため息をついた。
相変わらず降りやまない雨に傘を五本ほど借りてワイリーマシンに戻ってきてこっち、ワイリーは肩を落としたままである。
雨が強いからいいと言ったのに、あの六人はマシンの入り口まで送ってくれた。ドアの閉まる間際に"Thanks, good night"と手を振った時、名残惜しげに"Bye"と手を振りかえし、ワイリーが窓から見下ろしているあいだはなかなか立ち去ろうとしなかった。
その姿は胸の詰まるものがあったが、ワイリーの帰宅に反対しているのが「家長」たる兄たちであってはどうしようもあるまい。
「……ま、仕方ないの。みんな休んでいいぞ、夜番の者は当直に戻ってくれ」
ワイリーはようやく指示を出した。ロボットたちはとりあえず動き始め、ほとんどの者が部屋を出た。
息をついて椅子に腰を下ろすと、かちり、と小さな音がした。傍らを見やると、シャドウが人差し指のUSBコネクタをマシンに接続したところである。周辺情報でも検索するらしかった。
「お前も休んだらどうだ。確か非番だったろう」
なんとなく気遣われ、ワイリーは声をかけてみた。シャドウはちらりと目を上げ、大人しくうなずいた。が、ロックマンに酷似した、しかしずっと穏やかなはずのその顔は、無表情なほどの表情に固まり、童顔のくせにひどく年老いて見えた。かつて頼る者を持たなかった頃の顔だった。
最初に隠し子の話を出したとき、ワイリーがシャドウに白い目で見られたのには理由がある。未来からロックマンを誘拐してクイントに改造したとき、バックアップとしてシャドウを造っておきながら保留にし、あげく五十年も放ったらかしにしてしまったのは他でもないワイリーだった。それがシャドウに言いようのない苦労を舐めさせる結果となったことは、事が終わった今なお消しがたい後悔となってワイリーの中に残っている。
にもかかわらず、シャドウ自身は普段は反抗らしい反抗もしない、物静かなロボットである。あのように他人、まして親に棘のある言葉を投げかけるなど、例外中の例外だった。
父は、自分の件から何も学んでいない。そう思っているに違いなかった。
シャドウがマシンから指を抜いたらしく、再びかすかな音。彼は何も言わずワイリーに軽く一礼してそのまま部屋を出て行き、ワイリーは今度こそ一人になった。
――我が子、か……
今度会いに来た彼らのことを、ワイリーは忘れていたわけではない。それは本当だった。
が、それを言えばシャドウ一人が傷つくだろう。何より、結果的に彼らを長いこと置き去りにしてしまったことに変わりはない。
一度は軽くなったと思った荷は、むしろ初めより重いようだった。
雨の音はいよいよ深く、ワイリーマシンをすっぽりと押し包んでいる。
* * *
「博士」
肩を軽く揺られ、ワイリーは目を覚ました。
「本当に風邪をひきますよ」
見れば、ハードマンとメタルマンである。様子を見に来たらしい。
ワイリーは時計に目をやった。だいぶ長いこと居眠りしていた気がしたが、まだ一時間も経っていない。
「……いや、すまん。明日のことを考えとった」
「明日も何も、それなら余計早く寝ないと」
「わかっとる。だが、そうも行かんようじゃ」
「そうですか」
「……すまなんだの」
二人は顔を見合わせた。こんな弱気な、というより殊勝な父親は初めてだった。
「博士。彼らは一体、どういうわけであんな形で、あんなところに?」
ハードマンは尋ねてみた。
肝心のことだったが、「隠し子」騒動が起こって以来ワイリーもなんとなく無口になっていたし、自分たちからも聞きづらく、結局延ばし延ばしになっていたのだった。
「そうじゃの……」
ワイリーは椅子に座りなおし、ぽつりぽつりと話し始めた。
Albert W. Wilyとはワイリーが名乗っているフルネームだが、このWily(ずる賢い、の意)は無論、あとからつけたものだ。
本当の姓はWileyと綴る。つまり、Albert W. Wileyが本名である。
ドクター・ライトと名声を二分していた学生時代はもちろんWileyであった。が、悪の天才科学者を自称して世界征服に乗り出すのと同時にWilyを姓として使い始めたため、一部の関係者以外には圧倒的にこちらの名で知られている。発音はWilyもWileyも同じなので、別に支障はない(第一、支障が出るほどの付き合いもない)。
そんな中、彼がただ一度Wileyに戻って仕事をしたことがあった。
三度目の世界征服作戦の頃だった。
ローバート工科大時代、トーマス・ライトも含め数人の友人がいたが、その中の一人が卒業後、宇宙ステーション制御関連の職に就いていた。
一流企業だったが軍需産業も手がけており、したがって政府とも浅からぬつながりがあった。
そんな中、当時の政権が「独裁政権の打倒と民主化」を理由に、中央アジアのとある国に軍事侵攻した。攻撃の根拠そのものが不明確であり、加えて一挙両得で資源確保をも狙っていることは明らかだったが、それをはっきりと指摘する声は小さかった。
その企業も当然、資金面・技術面と政府に大きく協力していた。
友人は、それを癒着として批判した。たとえ孤立無援でも、不正義と感ずれば黙っていられない男だった。
企業は、心臓の持病を理由に彼を解雇した。
のみならず、彼はその後も徹底的に干された。大企業の力はすさまじく、優秀なエンジニアだったにもかかわらず再就職先は一件もなかった。
病気をかかえ、何とか申請が通った生活保護だけで暮らす彼のことをワイリーが知ったのは、彼がくびになってからだいぶ経った後のことで、あわてて裏町のぼろアパートに駆けつけたものである。
やあ、君もライトも随分有名になったね。軽口をたたく陽気さは昔のままだが、顔はひどくやつれ、足元はおぼつかない。
「世の常とは知りながら、ローバートきっての俊英を見る影もないまでにおとしめた力を、ワシは憎まずにはおれなかった」
ワイリーは、密かに彼の行き先を準備した。
Wileyの名で小さな会社を立ち上げ、そこの取締役にその友人を据えた。業務は人工衛星の観測、もとの勤務先とはかぶらないが彼の技術を充分に生かせる分野である。
オフィスと兼業の観測所もしかるべき場所に建てて、専門の観測員を数名雇った。
が、それとは別にもう一つ、非公開の観測所を置いた。場所は空気が清浄でなおかつ目に付きにくい国立公園。当然登録はせず、したがって全く秘密のもので、その存在を知っているのは彼とワイリーだけである。
そこで通常の業務とは別に、政府や各国の人工衛星・ステーションを観測し、国際法で定められた以外の行動がないかを極秘に観察する。それは二人の意志であった。
そうして置かれた第二の観測所に、ワイリーは自作のロボットを入れた。それがあの九体である。
まず最初はダイナマン、ソニックマン、ボルトマンの三体を入れ、頃合を見て残り六体を追加した。
観測所が完成したあとも、それが軌道に乗るまでワイリーはそこをちょくちょく訪れ、彼らの様子を見ていた。
そして、どうやら上手くいきそうだと思える頃になって初めて手を引いたのだった。
「……ただし、何かあったときのために打てるだけの手は打ったつもりでおるよ」
専門の会社を一つ興すとなれば、当然機器一式が必要となる。正規の活動である第一の観測所は問題ないが、第二観測所はそうはいかない。まして専門の機器を買う人間は多くなく、うかつなことをすればそこから足がついて観測所そのものが危うくなる。
そこでやむなく、打ち捨てられていたような機械を修理・改造して充てた。あそこの機械がやたら古いのはそういう理由からだ。
ロボットたちがどこかで見たような外見をしているのもそのためだった。
観測所にもしものことがあった場合、ロボットたちは最悪、警察、つまり政府の手に渡ることになる。そうなれば無事ではすまないだろう。
まして、名前はWileyになっているものの造り手はワイリーだ。そんじょそこらのロボットとは比べ物にならないほどの技術を投入している。欲しがる者はごまんと出るはずだった。
そうしたときに、自分のロボットである証を残せれば、彼らを自分のもとに引き取れる見込みは高くなるだろう。
そう考え、ワイリーは彼らを作る際、当時作ったばかりだった他のロボットたち……つまりハードマンたちの姿をちょっと拝借したのだった。
その後、彼とは連絡を取らなかった。
あのワイリーとつながりがあるなど、知れない方がいいと思ったからだった。だから、ワイリーナンバーズにも秘密にしていた。
「だが最近、本当にごく最近になって知ったのだ。その会社がもう何年も前につぶされていたと」
ふとしたきっかけで彼の元の勤務先に会社の素性がばれ、手が回ったらしい。
それと前後するように彼自身の容態も悪化し、ほとんど会社と運命を共にするような最期だったという。彼の身内には見舞金という形で金が出たが、つまりは泣き寝入りだった。
彼の死後、第一観測所は職員ごと、その企業が吸収した。
全ては極秘裏に行われ、事実はおろか事件そのものが一般に知らされることはなかった。
第二観測所にまで捜査の手が伸びた形跡はなかったが、だからと言って見つかっていない証拠にはならない。
「取り返しがつかなくなる前に、あれらを助けねばと思った」
彼らのことを忘れていたわけではない。それは本当なのだ。
この仕事をしたときWileyの名を名乗ったのは、正体を隠すためだけではない。大学時代の親友として力を貸すために行った仕事だということを示したかったのだ。
が、この件から手を引いてまたWilyに戻ったある日。
何かのついでに名を書こうとして、はずみでWileyと書いていた。
そのことに気づいた瞬間、観測員として残してきた九人の子供の顔が脳裏を巡った。
観測所を最後に訪れた日、いよいよ帰ろうというその段になって、名残を惜しんだ彼らはいつまでもワイリーを離そうとしなかった。
そのとき、ワイリーは彼らに言い残した。
――泣くな、大丈夫だ。ワシはいずれ、必ず戻ってくるからな。
I'll be back. 自分は確かにそう約束したのだった。
その後、Wileyを名乗ることは一度もなかったが、自分の名前……Wilyを書くとき、彼はいつもそのことを思い出すのだ。
Wileyからイイが抜けて、ズル賢イWilyになったな。
今やほとんど第二の母語となった日本語でそんな自嘲をしながら、結局十年も会わずに来てしまった。
だが、事態がここに至った以上、もう先送りするわけには行かない。
「ワシが行くしかないと思ったのだ」
そして、来た。
無事なのはわかった。が、十年という歳月は、やはり埋めようがなかった。
「あれらのことを忘れていたわけではない。それは本当なのだ。だが動くのが遅すぎた……」
* * *
マシンの戸口近くでジュピターと一緒に見張りに当たっていたマグネットマンはふと、何かがドアに当たる音をかすかに聞いた気がした。
雨の音かとも思ったが、そっとドアに近づいてみる。
ドアの向こうに、ロボットのエネルギー反応。誰かいるのだ。
「……誰だ?」
低い声で呼びかける。
――Excuse me.
ややあって、小さな声が返ってきた。
聞き覚えがあった。自分によく似たロボットだ。確かトーチマンと言ったか。
「よりによって、俺のカタワレさんか」
苦笑いしながら、彼はドアを開けた。
ドアの向こうにいたのは一人だった。
「なんだ、一人かい。まあいいや、入りな」
英語で言いながら、マグネットマンは招き入れてやった。
おずおずと入ってきた相手は、呆然とマシンの中を見回している。
「博士なら、今奥にいるよ。会いに来たんだろ? 連れてってやるから一緒に来なよ」
「あ、ありがとうございます」
我に返ったような様子のトーチマンの、その声までマグネットマンにどこか似ていて、傍らで聞いていたジュピターはおかしくなった。
が、ワイリーのいる部屋の前に来て、ノックしようとしたマグネットマンの腕を、不意にトーチマンは押しとどめた。
「どうしたんだい、入るぜ」
「待って」
「どうしたの」
ジュピターも問いかけたが、トーチマンはうつむいたきり何も言わない。
部屋の中からは、ぼそぼそと声がする。ワイリーが、このレンジャー基地……「観測所」の成り立ちを話しているようだった。
「ああ、話中だから? 大丈夫だよ、君なら誰も邪魔になんか……」
「……違うんです」
「え?」
「……僕たち、英語しかわからないんです……」
すみません、帰ります。絶句したマグネットマンとジュピターにそれだけ言うと、トーチマンはさっと身を翻して走っていってしまった。
「おい、ちょっと」
慌ててマグネットマンが追う。
「どうしたんだ」
部屋からハードマンとメタルマンが顔を出した。
「あ、あの、今、さっきのトーチマンって子が」
ジュピターが二人の出て行った方向を指すと、ハードマンとメタルマンは顔を見合わせ、これも後に続いた。
* * *
マグネットマンが昇降エリアに入ったときにはすでにトーチマンの姿はなく、近くの窓から覗くと、果たしてレンジャー基地のドアが閉まるところだった。
少し遅れてハードマンとメタルマンが入ってきた。
「マグネット。あいつどうしたんだ、博士に会いに来たんじゃなかったのか」
「ああ、そうだったみたいだ。だがあそこに来て……」
マグネットマンは、ごくごく手短に事情を話した
ややあって、メタルマンが口を開いた。
「今からでも呼びに行けないか。博士から聞いたんだが、博士はあいつらのこと……」
「今日は、もう無理だろうさ」
マグネットマンは首を振った。
自分の分身のような姿をしたトーチマンがあの時何を思ったのか、彼にはよく解っていた。
あっけにとられてマシンを見回したとき、そしてワイリーの話す日本語を聞いたとき、トーチマンはきっと悟ってしまったのだ。父が自分の知らない世界を持っているということを。
ちょうど、マグネットマンがレンジャー基地に入って、ワイリーとトーチマンたちが交わす英語を聞いて思ったように。
(あのな、俺もな、解るんだよ。だって同じことを感じたんだ……)
そのときに心を満たしていたのは、実は寂しさというものだったのだと、今なら言える。
「傘、返し忘れたな」
ハードマンがぼそっと言った。
* * *
走り去るハードマンとメタルマンの後姿をなすすべなく見送ったジュピターが気配に振り返ると、部屋の戸口にワイリーが立ちすくんでいた。
「……先生」
その姿を見た途端、ジュピターの喉の奥からしぼり出すような声が出た。
体が震える。言うまい言うまいとしたが、止まらなかった。
「僕らにかまけてる暇なんか、あったんですか!?」
が、途端、ジュピターは後悔した。
それが禁句だと、よく知っていたはずだった。
「……ジュピター」
ワイリーが口を開いた。体をこわばらせたまま、ジュピターは続きを待った。
「お前の言うとおり、ワシは卑怯だった。だがの」
そのまま、ワイリーは窓の外……地面を指差した。
「ワシとて、祖国はここなのだ」
申し訳ありませんでした。蚊の鳴くような声でようやくそれだけ言い、ジュピターは逃げるように走った。
* * *
ジュピターの走っていった方を、ワイリーはじっと見ていた。
彼の言いたかったことは痛いほど解った。
ジュピターはワイリーの作ったロボットではない。よその星でワイリーが見つけ、保護した者たちのうちの一人だ。
その彼らをみな、ワイリーは自分のロボットと同じように大事にしてきた。
が、そのことをジュピターは気に病んだのだ。ワイリーの本当の子供をさしおいて、よそ者の自分たちがと。
どこか青臭いところのある彼は、それに耐え切れなかったのだろう。
彼の上司……潔癖なアースなら、こんな言葉は殺されても口にしないはずだった。が、そのアースも、仲間たちも、心の中では同じことを考えていると思って間違いなかった。
だが、だからと言ってジュピターたちを下に見る気は、ワイリーにはない。まして放り出す気などない。
自分もまた、よそ者だからだ。
ワイリーは国というものに執着を持たない。日本はロボット好きの国という理由で選んだに過ぎないし、母国の権柄ずくは気に入らない。
それでも何かの拍子に、生まれたときから大学時代まで住んでいた祖国のことを思い出すときがある。
そのときの何ともいえない気持ちには、どれほど忘れようとしてもままならないものがあった。
だから、ジュピターたちを放ってはおけなかった。
そして、これからワイリー基地で「よそ者」になるに違いないトーチマンたちも。
勘のいいジュピターはあれだけで、ワイリーの言わんとしたことを全て悟ったはずだった。いや、自分であの言葉を発した時点で気づいてしまっていたろう。あれで根は随分優しいのだ。
――皆に、辛い思いをさせてしまっているな。
ワイリーは息をついて壁にもたれかかった。
どっと疲労が襲ってきた。寄る年波には勝てないとみえた。
放っておくわけには行かない。ジュピターたちも、ナンバーズも、そしてあの子らも。
みな、自分の子だった。
だが、どうやって。
壁越しにごうごうと鳴る雨に背を打たれ、ワイリーはうずくまった。