「あ、おはようございます……あら」
食堂に現れたドクター・ライトの姿を見て、ロールは表情をくもらせた。家の中ではいつも温厚で笑みを絶やさないはずのライトの顔が、今朝は沈んでいる。
「大丈夫ですか博士。……あの、ロックはまだ?」
「ああ。連絡がつかん」
「そうですか……」
ロールはうつむいた。あまりいい知らせではない。
「でもよ、ロックだぜ? ほら、いつだって最後は無事に帰ってくるだろ。そんなに心配ねえって」
テーブルの向こうから、カットマンが声をかけてよこした。
現実はともかく、その明るい言葉はその場の空気をいくぶん軽くした。
「……そうね。今回はただの警備手伝いだって言うし、第一何か起こったら向こうの人から連絡入るわよね。もう少しだけ待ちましょ」
よし、と声に出し、ロールは朝食の支度の続きにとりかかった。ライトも椅子から立ち上がり、コーヒーカップを取ろうと戸棚に手を伸ばす。
ほどなく他のライトナンバーズたちもどやどやと姿を現し、日曜の朝はいつもどおりの趣きに立ち返った。
棚のカップを探す仕草で一同に背を向けたライトの顔に浮かぶ、重い苦悩を除いては。
* * *
けたたましい破裂音。銃弾ががんがんと傍らの鉄壁に弾ける。
傍らのドアノブをぐいと引く。腕の関節がぎしりと軋んだ。痛み。構わず、そのままノブを引きちぎる。銃声が止んだその間を逃さず相手側に投げ込む。爆弾と勘違いしたか動揺の声。
その隙に、遅れていた部下たちがこちらに駆け込んできた。全員をさらに前の車両に走らせ、彼はもう一人と一緒に、車両連結部にありったけ弾丸を撃ち込んだ。
* * *
「じゃ、行ってきますね博士」
「ああ。ロックのことは分かり次第連絡するから、心配せずに行っておいで」
玄関口でひらひらと手を振る「一人娘」に、ライトは微笑んでみせた。
「あーあ、いいなあロールちゃん。ボクも行きたかったのに」
閉まるドアを横目にソファでぼやくアイスマンをボンバーマンがつつく。
「バカ、遊びじゃなくてお歳暮の注文に行くんだろが。ロールとカリンカちゃんだけで充分じゃねえか」
「そうだけどさ、ついでにあれやこれや見るでしょ」
「そんなこと言ってお前、結局あの二人と出かけたかっただけじゃねえの」
「ちょっ、違うって!」
思わず赤くなったアイスマンの横で、ガッツマンがにやっとした。
「ほお、今日はお嬢さん二人で水入らずか。そしたらダイブマンも置いてきぼりだな」
「あーらら、可哀想に」
自ら「カリンカお嬢様特任SP」を買って出ている巨漢ロボットのやきもきする様子が目に浮かんだのか、ファイヤーマンが大笑いする。
「……あのな、どの道ロックが戻ってないんだ。楽しいはずないだろう」
その会話に冷や水をぶっ掛けるようにエレキマンが割り込んだ。
沈黙。この場の誰もがあえて触れずにいた話題だった。
* * *
乗り物……列車の走行速度が下がったのにはすぐ気づいた。
速やかに行動を起こす必要があった。先ほどの連中は後部車両ごと置き去りにしてやったが、追っ手がかかるのは時間の問題だろう。
彼は全員を呼び集め、一気に車両から飛び降りた。
窓のない車両内部の暗さに慣れた彼らの目が光になじむまで、少しの間があった。
* * *
「博士。もう一回通信入れたほうがいいんじゃないスかね、通じるかもしれないし。もしかしたら助けが要るかもしれないし」
コーヒーを手にリビングに現れたライトに、カットマンが遠慮がちに声を上げた。
「どこでしたっけ依頼元。タナカ綜合警備保障でしたっけ? とりあえずやってみるだけでも」
「うむ……いや、やはりもう少し待とう。十時が契約終了予定時刻だから、そこで連絡がなければ問い合わせることにしよう」
そう答えたライトの言葉の煮え切らなさに気づいた者は、その時点では誰もいなかった。
「……あと十五分か」
ボンバーマンが時計を見上げた。
* * *
至近距離……目の前の、一段高い場所に大勢の人間。みな唖然と自分たちを見下ろしている。
が、事態はすぐに急変した。
鋭いサイレンの音。人波をかきわけて黒服の人影がばらばらと集まってくる。
ぐずぐずしていられなかった。彼は鋭く指示を出し、人間たちのいる段に跳び上った。悲鳴。人垣が大きく二つに割れる。
目の前の黒服を蹴散らし、彼らは疾走した。
* * *
「博士、電話しましょう。もう十時半だ」
ファイヤーマンに急かされ、ライトが受話器を取ろうとしたそのとき、唐突に電話が鳴った。
飛びつくように受話器を上げて応答したライトだが、その表情はすぐに怪訝なものに変わる。
「……えっ? ええ、ええ……失礼、」
送話口を手でふさぎ、彼はアイスマンに目を走らせた。
「RTV局からだ。テレビを」
「は、はい」
あわててリモコンのスイッチを押したアイスマンの目に、臨時ニュースを伝えるアナウンサーの姿が飛び込んだ。
〈たった今入ったニュースです。○○駅六番ホーム線路上に武装したロボット集団が現れ、そのまま駅構内を移動している模様です。警察が付近一帯を封鎖し、利用者の避難とロボットの身柄確保に……〉
「……ちょっと、○○駅って」
「そこの駅ビルにロールが行ったとこだぞ」
彼らがささやきあったそのとき、ライトの携帯電話が鳴った。
ライトが応答するようエレキマンに目で伝え、エレキマンはすぐ電話を取った。
「はい、トーマス・ライトです」
〈ライト博士ご本人ですか?〉
「いえ、家族の者ですが」
相手の妙な反応をいぶかしんだが、エレキマンはひとまず答えた。
〈タナカ綜合警備保障の者ですが、博士はご多忙ですか〉
「タナカ警備の! ……いえ、電話中です」
〈すぐに代わっていただきたい。いえ、失礼は承知しておりますが、可及的速やかにです〉
「は、はい」
悪い予感がした。
話が飲み込めないまま、それでもエレキマンはライトに携帯を差し出した。
ロックが派遣された会社だ。
「博士、タナカ警備の方からです」
その途端ライトの顔をよぎった何ともいえない表情を、その場の全員が確かに見た。
「ああ……失礼、急用です。また後ほど……ええ、申し訳ない」
テレビ局からの電話を無理矢理とも言える言い方で切り、すぐさまライトは携帯に出た。
二言三言話した、その顔がみるみる青ざめていく。
「はい、はい……分かりました」
消え入るような声でそれだけ言うと、ライトは携帯から顔を離した。
それで終わりかと思われたが、不意に携帯から声が響いた。ハンズフリーにされたようだ。
〈……ライトナンバーズの諸君、時間がないので端的に申し上げる。機密保持のためタナカ警備を名乗ったが、国家安全省だ〉
その場の空気が大きく動揺した。
「えっ、え」
「国家安全……聞いてねえぞ」
が、相手は構わず話を続けた。
〈昨夜から今日にかけて、ワイリーロボットの疑いのある虞犯ロボット護送の警備をロックマンに依頼していたが……ロックマンは死んだ〉
その瞬間、全員の思考が確かに止まった。
――何だって?
* * *
天井の低い構内にがんがんと放送が流れている。言葉は聞き取れないが警報に違いなかった。
悲鳴を上げて逃げ惑う人間たち。その間を縫うように走る。
左の通路からどっと黒服が詰め寄ってきた。人間ではない。機械だ。
使い慣れた武器をそちらに向け……
撃った。
轟音。彼の武器の中では低威力の砲弾だが、それでも殺到した連中が木の葉のように吹き飛ぶ。
前方に目をやると、緑の髪……自分たちのリーダーが右に方向を転じるのが見えた。
* * *
ロックが死んだ。
相手はワイリーのロボットかもしれない。
その衝撃に打ちのめされ、誰もが言葉を失っていた。
が、それにひたる間もなく、相手の声が響いた。
〈護送列車内でロボットの脱走を止めようとして撃たれた。ロボットたちはそのまま逃走した〉
「……まさか」
凍りついたまま、ガッツマンが口だけ動かす。
〈テレビを見ただろう、あれらだ〉
* * *
階段を駆け下りるリーダーの後を追っていた二人の眼前を、横合いから駆け出してきた黒服たちがふさいだ。
二人はちらりと視線を交わした。お互い、相手を助ける余裕はない。
一人が両肩のブースターに点火し、ばっと黒服を飛び越えた。そのまま人々の頭上を越え、階段通路の天井すれすれを翔け下っていく。
黒服たちの意識がそちらに向いた隙に、もう一人も動いた。こちらは身軽に黒服を跳び越え、反転して天井を蹴り、人々の群れの半畳の隙間に身を落とす、と思う間もなく電光の切り返しで僅かな階段を、壁を、天井の照明を次々に縫い、ごった返しの階段通路を逆落としに駆け下る。
長い階段のどん詰まり、その床を足場に狙って壁を蹴った刹那、黒服たちが押し寄せてくるのを彼の目はとらえた。が、彼はためらわず加速ブースターに点火して黒服のど真ん中に突っ込んでいった。
* * *
不意に耳障りな警報音が鳴り響いた。
〈ご来場のお客様にご案内いたします。ただいま、隣接の○○駅構内に不審者が侵入したとの連絡が入りました。速やかに係員の誘導に従い、落ち着いて避難を……〉
(不審者?)
妙なアナウンスに首をかしげたロールの脇で、カリンカが声を上げた。
「ロールさん、あれ!」
カリンカが指差す先を目で追ったロールは息を呑んだ。
眼下の吹抜に設置された大型モニターいっぱいに臨時ニュースが映っている。
〈……○○駅六番ホーム線路上に武装したロボット集団が現れ、そのまま駅構内を移動している模様です。国家安全省はワイリーロボットの疑いがあるとのコメントを発表しました。なお、ロボットポリスに発砲したとの未確認情報もはいっており……〉
途端、真横の連絡通路から爆風、視界がブラックアウトした。
* * *
死んだような沈黙を破ったのは携帯電話の声だった。
〈ロックマンを死なせたのはこちらの不手際だ。しかし、自衛目的とは言え我々は実質、軍隊と同じだ。総理の許可がなければ動くことができない。……恥を忍んで助力をお願いする、あのロボットたちを止め、我々に引き渡していただきたい〉
「……言われるまでもねえ」
低い声でつぶやいたのはボンバーマンだった。
「兄弟を殺されたんだ、黙ってられるか」
殺された。
その言葉はゆっくりと全員に広がり、染み通っていった。
「でも、よりによってワイリーロボだなんて……」
「だからオレたちが行くんだ」
アイスマンの弱々しい言葉に、カットマンが返した。
「絶対に、理由を聞き出してやる。場合によっちゃ」
カットマンはそこで言葉を切り、拳を握った。
そのとき、すぐ横のテレビからアナウンサーの声が響いた。
〈新しい情報がはいりました。えー、たった今新しい情報がはいりました。○○駅の武装ロボットの一部が改札を突破し、隣接の駅ビルに侵入した模様です。繰り返します……〉
* * *
ぐいと後ろ襟を持ち上げられる感覚で、ロールの意識は引き戻された。
下のほうに床が見え、カリンカが倒れている。
(…………!!)
慌てて顔を上げると、目の前に異様な姿が見えた。
全身を覆う金属のアーマー、そのすすけて凹んだ傷跡。かすかに光るバスター。
無感情な目。
――戦闘用ロボット!
* * *
「ふざけるな」
ファイヤーマンが吐き出した。
「ロックを死なせた上に、ロールにまで何かあってたまるか」
これで決まりだった。
〈感謝する。現場は繁華街だ、これ以上の犠牲はなんとしても避けたい〉
「行くぞ」
エレキマンが短く言い、一同は立ち上がった。