:: 三

 部屋の隅で、プルートが握った赤のクレヨンで画用紙に何かを描いている。描くというよりは塗りたくる動きだ。
 だが、程なくクレヨンは手の中で形を崩し始めた。握力に耐えきれないのだ。かんしゃくを起こした彼が画用紙の上へ力任せに押しつけると、はずみで引き裂かれた画用紙の上でクレヨンが折れて砕け、その手から欠片になってこぼれ落ちていった。
 残骸と化した画材を前に、子供が大声で泣き出す。大部屋のあちこちから大人たちが尖った視線を向けた。
「泣かないの。ほーら、こうすると面白いわよ」
 ネプチューンが散らばった赤色の粉を指につけ、画用紙の隅にこすりつけてやる。だがそれは子供の神経を逆なでしただけだった。やがてプルートは手足をばたつかせて泣きわめき始め、ネプチューンは慌てて彼を部屋から抱え出していった。
「だから、無理だって言ったんだ」
 ぼそりとマースが言った。
「そういう態度がいかんのだ、そういう態度が。何の解決にもならないではないか」
 たしなめるウラノスの声にもどこか険がある。
「前向きだろうが後ろ向きだろうが関係ねえ、ダメなもんはダメさ」
「なんだその言い方は。今も苦労されている班長がたに申し訳ないと思わんのか」
 思わず声を荒げたウラノスに、傍らでマーキュリーが呟いた。
「第一、その玉を一番壊しているのはあんただろう」
「何をッ」
「止しな」
 サターンが間延びした声で割って入り、立ち上がりかけた三人はしぶしぶ矛を収めた。
 ウラノスの横のカゴには、ピンポン玉が山盛りに入っている。「訓練」用にワイリーが差し入れたものだ。
 彼らは純粋な戦闘用ロボットである。他の特殊技能を持たず、人間との交流もまずなかったという。人間を交えての一般作業にも転用できるワイリーロボット、ひいては地球産ロボットとはその点で大きく異なる。
 基地へ来た当初、ワイリーは彼らに簡単なテストをやらせてみた。戦闘能力は優秀、頭脳も申し分なかった。
 が、問題がひとつあった。ワイリーロボットと比べ、手先の器用さが格段に劣るのだ。指の出力をうまく調整できず、皿でもペンでも持たせただけで片っ端から壊してしまう。紙の本のページや卵に至っては最初の一人に試しただけでやめた。
 ワイリーにもこの点は予想外だった。先に発見されたシャドーマンもその傾向を持っていたものの、これほどではなかったのだ(が、シャドーマンに訊いてみたところ、そもそも比較の対象にならないという。彼はほぼ隠密専門であったため前線の荒事にはつかず、使う道具も特殊だったそうだ)。
 これでは地球で通常の生活は送れない。対処法など分からないものの放置するわけにもいかず、ワイリーは彼らに訓練を施すことにした。
 その一環が、このピンポン玉だ。幸い卓球はワイリーの(ロボット工学以外の数少ない)趣味で、ストックは売るほどある。これを潰さずに持てるよう、毎日ごく短時間、簡単な練習をさせているわけである。
 だがこのノルマとも言えないほどささやかな訓練は、同時に彼らのアイデンティティーを大きく揺るがした。
 戦闘用ロボットという大前提、そして自らの能力へのプライド。その両方をいちどきに否定されたわけである。極端な話、プロフェッショナルから役立たずに転落したのと同じだった。
 堅物のウラノスや根気のあるネプチューンなどは、それでもエースやシャドーマンに義理立てしてどうにか続けていた。しかし他方、マースやマーキュリーがすでに落ちこぼれかかっているのは言うまでもない。
 プルートのクレヨンもまたワイリーが与えた訓練兼気晴らしだったが、現状はあの通りである。大人たちの右往左往が、そっくりそのまま彼にも波及していた。

 *  *  *

 足が痺れたように重い。いや、実際に痺れかけている。まずい兆候だ。エースはつとめて平静を保ち、ゆっくりと歩いて部屋に入った。
 中の部下たちの目が一斉に集まる。皆ぴりぴりしていた。原因は知れている。完全な異郷、それもアウェイでのあてどない虜囚生活に、自分を含めた誰もが疲弊しきっているのだ。
「お帰んなさいまし。いかがでございました」
 歩み寄ってきたサターンに、エースは渋い顔で答えた。
「相変わらずだ。お前たちは何者で、なぜ『あんな大それた事件』を起こしたのか」
 と、部屋の隅で誰かが不満げに鼻を鳴らした。
 マースだ。
 部屋の空気が一瞬で凍った。反抗は反乱に通じる。未だかつて、上官にここまであからさまな態度をとって無事だった者はない。
 エースがすっと目を細めた。ロボットがおしなべて戦闘用だった彼らの星では、それは即刻処罰に値しかねない行為だ。当のマースすら、自分のしたことに青ざめた――
 が、エースはそれきり、石のように黙り込んだ。
 何とも言えぬ妙な空気が流れた。当然飛ぶべき叱責は、放たれないままにその機を逸したのだ。
 場を治めるようにサターンが無言で一同を見回し、マースにぴたりと目を据えると顎でドアを軽く指した。
 別室での当面謹慎を意味していた。席を立ったマースが居心地悪げに出ていくと、それを合図に他の者も三々五々、その場から散った。
 去り際、何の気なしに振り返ったジュピターは、無造作に投げ出された班長の左腕がかくっと力を失うのを目の端にとらえた。

 *  *  *

 任務の合間を縫って宇宙ロボット……かつての後輩たちを見舞ったシャドーマンは、状況の悪化を認めないわけにはいかなかった。
「ついに不平が表に出たか」
「面目ございません。命を長らえさせていただいておりますのは重々承知ですが……」
 困り果てた顔のサターンが最敬礼の角度で頭を下げるのを、シャドーマンは手で制した。
「手の回らぬわしの不徳だ、許せ。……『エース』――ジンライは事情聴取か」
「ええ、ワイリー博士とご一緒に」
「ううむ」
 シャドーマンは顔をしかめた。リーダー役のエースに直接事情を聞きたかったが、このところすれ違いっぱなしである。シャドーマン含む宇宙ロボットたちの共通通信規格も(至近距離の赤外線式通信を除いては)、ワイリーナンバーズとの混線を避けるため、使用は別館内部に限られている。
「しかし、どうしたというのだ。あのジンライに対して」
 シャドーマンの知っている「ジンライ」……エースは、厳しいが責任感の強い男だ。その冷徹さから部下たちに恐れられる向きがある反面、急場での判断力、指導力を疑う者はないはずだった。
「私にも詳しくはお話し下さりませんが、このところ少々ご様子が……。他の者にも分かるんでございましょう、みな日ごとに浮き足だっております」
「…………」

 *  *  *

「どうだ、調子は」
 聞く前から答えを察した顔で、それでもメタルマンは尋ねた。
「変わらん」
 やはり予想通りにシャドーマンが返してくる。
「で、何がご不満なんだ、連中。たいがい見当はつくけどよ」
「……いつもどおりだ」
「ああ、もう。無理に決まってんだろが」
 メタルマンは半ば悲鳴に近いうめきをあげた。
「確かに武器は取り上げてるし、好き勝手出歩けねえようにはしてるさ。だがこっちも手出しはしてねえし、小うるせえ外野からも守ってやってんじゃねえか。食事だってそうだ。最初っから充分提供してたのに向こうの言うとおり積み増して、おまけに毒見まで黙認してんだぜ」
「分かる。分かる。それはもっともだ、面目ない」
「いや、あんたに言ってる訳じゃねえ。あいつらだって全員がそんなじゃねえのは承知さ。でもな」
 困り果てた様子のシャドーマンに、それでもメタルマンは駄目押しするように続けた。
「こっちだって言いてえ事は山ほどあるさ。でもそいつをぐっとこらえて寝泊まりする場所と食いモン出してるのに、なんで文句言われなきゃなんねえんだよ。ワイリー博士の訓練も途中で放っぽってるし、日本語だってリーダー以外覚える気配もねえんだろ? あれも嫌、これも嫌なんてワガママ、通る訳ねえよ」
 シャドーマンが日夜駆けずり回り、八方に頭を下げているのは知っている。そして彼は宇宙ロボットたちの同郷だ。何よりこたえると分かっていた。が、抑えようがないのも事実だった。

 *  *  *

「何言い出すかと思や、気でも違ったか」
「正気も正気、大真面目だ」
 別館。廊下の片隅で言い合っているのはサターンとマースである。
「頼むよトコヨ、あんたが指揮執ってくれたらオレはついてく。他の連中もあんたなら言うこと聞くって言ってるんだ」
「馬鹿言いねえ、俺ぁこんな体だぜ」
 トコヨ……サターンは笑いながら、首筋の包帯を指さした。戦闘で負傷した部分だ。本格的な修復が済んでおらず、身動きに支障をきたしていた。
「俺たちのことなら、ジンライ班長がちゃーんとやって下さってるだろが」
「そのジンライ班長がてんで頼れねえって言ってんだよ」
 サターンに、マースが食い下がる。
「どう見たっておかしいだろ、この星に来てからの班長。朝からここの連中に引っ張り出されて下手すりゃ晩までいねえ、何してるかと思えば米搗きバッタの真似事だ」
 マースの言葉に、サターンがきつそうに顔をしかめた。
「ああ、分かる。だがもうちょっとこらえてくんな。班長は毎日……」
「知ってるさ。連日ボロ雑巾みたいになって戻ってくりゃ、どんだけキツいかは分かるさ」
 サターンの制止に、マースはひるまなかった。
「なら行かなきゃいいんだよ。わざわざ出向いてって、やっぱり怒られてさんざ謝ってよ、恥の上塗りじゃねえか」
「あのな……」
「で、下っ端のオレたちゃそれを見てるっきりだ。それも訓練だか何だか知らねえムチャ振りに明け暮れてよ。オレたちゃあんな器用な真似できるように造られてねえって、あんただって分かってんだろ」
 一息入れ、マースはおっかぶせた。
「正直、もうついてけねえ。無理だよ。このままじゃ全員生き腐れだ」
「まあ、待ちな」
 その言葉を、実に静かにサターンが受けた。
「不満があるのは分かる。慣れねえのもよっく分かるさ。だがね、俺たちの身分は知ってるだろうが。虜だぞ、虜。そのうえ罪人ときてる。その中で班長はな、俺たちの立場がこれ以上悪くならねえように、毎日毎日働いて下すってるんだ。そこんとこはお前も分かってくれてると思ってたがね」
 間。
 黙ってしまったマースに、サターンはゆっくりと続けた。
「言いてえ事があるんなら、俺でよけりゃいくらだって聞いてやるさ。だが」
 サターンは、すっと相手の目を射すくめた。
「もしどうしても辛抱ならねえなら、悪いが他を当たってくんな」

 *  *  *

「ねえゴウリキ。正直どう思う、トドロキたちのこと」
 また別の部屋。ネプチューンが声を潜めて「ゴウリキ」……ウラノスに話しかけた。
「班長がどうのこうのという話か。馬鹿馬鹿しい」
 ウラノスが鼻息荒く吐き捨てる。
「ワシらの指導者はあの方だ。いまさらひっくり返してどうしようと言うのだ」
「あら。ってことは、あんたも誘われたのね」
「その口ぶりだとお前もか。……よもや乗ったんじゃあるまいな」
「まさか。よしてちょうだい」
 ネプチューンは女仕草で腕を組んだ。
「あたしが内輪もめ嫌いなの、知ってるでしょ。この期に及んで仲間同士でつぶし合いなんてまっぴら」
「そうだったな」
 心なしか安堵した様子のウラノスに、だがネプチューンは続けた。
「だから、ほんとのとこ班長側につくのも複雑なのよ」
「お、おい、オオナミ」
 急に怪しくなった雲行きに面食らうウラノスに、「オオナミ」……ネプチューンはため息をつく。
「どうする気なのかしら班長。今は辛うじてこうしてるけどさ、あっちに合わせるのか、このままこうしてるのか、それとも……あたしたちのホシに帰るのか」
 む、と言ったきり、ウラノスが黙りこくった。
「それが分かんないのよねえ。ここの人たちにも何も言わないけど、あたしたちにもだんまりでしょ。トドロキがカッカ来るのも、正直わかるのよね」
 その通りだった。ウラノスやサターンが支えてはいるものの、肝心の班長の意思が見えない。その不安はウラノスにも確かにある。
 トップダウン方式が機能しているうちはそれで問題なかったのだ。が、その屋台骨がぐらついている今、それはつまり指令系統の麻痺だった。

 *  *  *

「どうじゃな、調子は」
「……申し訳ございません」
「そんな事はいいわい」
 宇宙ロボット専用調整マシンに繋いだエースの足の調子を見ながら、ワイリーは苦笑いした。
「こういうのは腰を据えて取り組むものと相場が決まっておる。お前たちがしくじろうがワシらは別に焦らんし、怒らんさ」
 このひとの言うやり方が、恐らくこの星のロボットたちの流儀なのだろう。うつむきながらエースは思った。怒らず、強いず、争わず。要約すればそういうことだろう。
 ――だが、我々はそれでやっていけるのか。
 目下最大の不安がそれだ。
 せめてリーダーの自分は、彼らに言われたそっくりその通りを実践しているつもりである。部下に怒声を上げることはなくなった。ワイリーの訓練も、言われた以上の厳格さで徹底させてはいない。この星の警察機構の事情聴取にも身を切る思いで応じている。
 人には言わないが、無理をしていると思う。現に時々手足が動かなくなっている。脳にかかるストレスを軽減しようと、緊急停止装置が不随意で働くためだ。
 引き替えに何を得た?
 警察の追及は別段緩まず、部下たちは部下たちでキナ臭い。
 頭がぐんと重くなる感覚。それにつれて鈍る足の方は錯覚ではなさそうだった。

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